「さようなら私たち」金原ひとみ

★☆☆☆☆

群像7月号。

フリーランスのライター伊予理田正奈は地上波テレビの情報番組のMCに、週一で15万円の報酬と聞き就任を即決した。プロデューサーの赤瀬川は調子のいい男だが、エゴサだけはしないよう忠告され、伊予理田は了解する。伊予理田が男友達の沖丸スティーブと小山光希と飲んでいると、伊予理田の腕のタトゥーのせいでSNSが炎上していると教えられる。タトゥーは自分の意思で入れているわけでなく、必要な時に迎え入れるものであると主張する伊予理田は電車の中で、友だちのピアスを非難する女子高生に不満をもったり、自分を睨んだおじを睨み続けたり、タクシーの中で「独り言」を言ったりする。伊予理田はタトゥーを広げ顔にはピアスを施して満足するが、伊予理田に殺人予告が出たことにより、番組はしばらく休止することになる。伊予理田はインライ(インスタライブ)で不満をぶちまけようとするが、小山からの電話により、伊予理田を降板させるためのデモが始まると知らされる。伊予理田がタクシーでデモ隊がいるテレビ局前に駆けつけると、意識が乖離して上空に飛び、そこからの景色にデモ隊はみつからない。テレビ局に入ると赤瀬川がいて、番組を降りると伝えると励まされれ、次回の収録は伊予理田が好きな九十九里だと聞かされると元気になり、絶対にやりたいと言い出す。そせて伊予理田の意識はまた上空に飛んでいく。

出だしは面白そうな予感がしたのだけれど…。自分もタトゥーを入れている金原ひとみの自己弁護、ではないな、弁護ではない、タトゥーを入れていることを弁護する必要はない。自己正当化?これもちょっとちがうし、あるいはタトゥーを入れて何が悪い?という開き直り、もちがうか。私はタトゥーは好きではない。イキがってるように見える、「粋がってる」ならまだしも、自分を強く見せたがってるように思えるから。中にはリストカットと同じで自分を傷つけずにはいられない人もいるかもしれないが、どっちにしたって目に入れて気持ちのいいものじゃない。

「あおぞら」柚木麻子

★☆☆☆☆

先日、朝日新聞の連載が終わった。

男に騙され子をなした村瀬立子が魚屋の夫婦に助けられる。立子は縫製工場で働き続けるために保育園を作ることに関わっていく。理論と理想ばかり唱える延長の秀子とガサツな大女である保育士のサワ。しかし、彼女らは成長し、野天から始まった保育園はお寺の本道を借りて発展していく。そして、女性が虐げられている社会への反発として勉強会やデモに参加するようになる。立子を捨てた男の家族すら保育園のために新しい園舎を建てる。男の妻だった裕子は、医師になることを諦め男の家に入るが、離婚したあと保育園の栄養士という生き甲斐を得る。お寺の僧侶である蓮華はトランスジェンダーで、女性の体をもつが故に正式に寺の代表者になれない境遇を打開しようと本山に乗り込むまでになる。立子を助けてきた魚屋の夫婦は、一人息子を戦争で亡くしたあと失意の中で暮らしてきたが、立子らと関わりをもつうちに反戦反核などの社会活動にに携わっていく。ほかにも、堕胎が犯罪だった頃に助産婦だった女性や大工をしながら保育士になる男性やらが登場する。

登場人物みんなが人権や社会正義に目覚めたり偏見と闘ったりいい人になったり、立派すぎる物語でした。

 

日本1ー2ブラジル

ワールドカップ北中米大会決勝トーナメント1回戦。

夜中に目が覚めたのでテレビで日本戦を観た。丁度ハーフタイムに入ったところで、どうせ負けてるだろうと思ったら1ー0で勝ってて驚いた。もしかして勝つのか、という期待は後半が始まるとすぐになくなった。ブラジルは強い。強すぎる。まるで大人(ブラジル)と子ども(日本)の試合のようだった。というのは言いすぎだろう、だったらなぜ前半勝っているかということになる。順当な言い方としてはJ1のチーム(ブラジル)と高校のチーム(日本)の試合くらいの差かと思う。

日本はマイボールになっても自陣に押し込められ、ボールは前に進まない。ブラジルは攻撃になると、相手(日本)陣に入っても余裕でボールを回し、どんどんクロスを放り込む。日本は必死にクリアするが、選手はみな自陣に引いて守っているので、セカンドボールはほぼブラジルのもの。そしてまた余裕でボールを回し、チャンスを伺うことの繰り返し。どこにも日本のチャンスはなく、いつブラジルが得点するかだけのことで、後半11分には日本のゴールネットを揺らして同点とした。それでも後半のアディショナルタイムまで日本は持ちこたえた。延長戦に入ってワンチャンス(それがあるとすればだが)をモノにすれば勝つかもしれない、あるいは延長戦で互いに無得点ならPK戦で勝つかもしれない。可能性は低いがないことはないと思って見守ると終了間際に決勝ゴールを決められた。仕方ない。ブラジルが勝つのが当たり前なんだから。

試合前に言われていたのが、以前はブラジルと10回戦って1回勝つかどうかだったのが、今は10回のうち2回は勝てるだろう、日本は強くなった、だ。僕もそう思っていたが、実際は違った。今でも10回やって1回勝てればいいくらいの力の差があると思う。その状況で先制して、試合終了間際まで同点で持ちこたえたのは奇跡に近かった。よくがんばったと思う。だけど、ブラジルと互角に戦えるようになるまであと何十年かかるだろう。おそらく大谷翔平クラスのサッカー選手が誕生しない限り無理ではないだろうか。

「地雷グリコ」青崎有吾著

『地雷グリコ』

★★☆☆☆

惜しかった。1ヶ所ミスがあって、それがなければ★4つのつもりだった。

あらすじ。文化祭の場所決めをゲームで決める高校が舞台。一年生の射守矢真兎(いもりやまと)と生徒会メンバーの椚迅人(くぬぎはやと)が、地雷グリコで勝負する。場所は頬白神社の46段の階段。ふつうのグリコと違って、それぞれ3ヶ所に地雷を設定する。地雷を設置した段に相手が止まると、地雷が爆発して10段下りるというペナルティが課される。

設定も面白いが、相手の手を読む、あるいは相手を誘導して自分が意図する手を出させる、そんな頭脳戦は、「デス・ノート」好きな私としては大好物なのである。

ただ、最初に書いたとおり一点だけ、ミスというか残念なところがある。それは33ページ、ペナルティで一度スタート地点まで戻った真兎が「15段目の手前でやはりまごつき、〈被弾〉はなんとか回避した」というところ。でも考えてみたら、〈回避〉はできないのである、ほんとうは。真兎は12段目か15段目で必ず被弾し、2段目か5段目に下りてきて、次に8段目に設置された3発目の地雷を回避する方法がない。椚はチョキを出し続ければいいのである。そうすれば真兎は永遠にゴールにたどり着けない。

ここをクリアできるアイデアが出せたらよかったのだが。惜しかった。

 

『坊主衰弱』

★★★★★

百人一首の札100枚を使った神経衰弱。坊主めくりというらしい。〈男〉の札が66枚、〈姫〉が21枚、〈坊主〉12枚。あと1枚〈蝉丸〉というのがあって、これを〈坊主〉にする。トランプでやるふつうの神経衰弱と違って、めくった札によって手札が増えたり減ったりするが、ここでは省略。

真兎がイカサマ師と勝負するのだが、イカサマを逆手にとった頭脳戦が痛快である。

 

『自由律ジャンケン』

★★★★☆

二人の対戦者がグー、チョキ、パーのほかに各々一つの独自手を加えた五種類の手で勝負を競う《自由ジャンケン》を真兎と生徒会長佐分利錵子(さぶりにえこ)が戦う。

ちっちゃいことだが、佐分利会長を男だと思わせといて実は女だったと読者を驚かせるのは、小説ならではやり口。

毎度の頭脳戦は読んでるこちらの脳がこんがらがってしまうが、今回も小気味良くハマってしまった。

 

『だるまさんがかぞえた』

★★★☆☆

真兎の天才的な思考はまたしても鮮やかなのたが、読んでるほうとしては少々疲れてきて、いくらなんでもそれはやりすぎでしょという気持ちになってきた。ルールの盲点を突いて勝ってもなあ。

 

『フォールーム・ポーカー』

★★★☆☆

『だるまさん』と同様にルール違反スレスレのイカサマを掛け合う勝負。それOKの前提でどんなイカサマを掛けるのか含めた頭脳戦と認めればオモシロイのだが、やはり「なんだかなあ」という気になってしまう。

岸辺露伴は動かない 懺悔室

★☆☆☆☆

舞台はイタリア。昔、日本人の浮浪者に酷い対応(ゴハンもやらずに重労働をさせた)をした日本人の男が、その浮浪者が死ぬときに呪いをかけられた。それは、幸せの絶頂がきたときに最大の絶望にみまわれるというものだ。それから男には幸運なことが連続して起こる。幸せになればなるほど絶望にみまわれる瞬間が近づくからだった。男は大金持ちになり、美しい女性と結婚しかわいい娘も生まれた。そして男が幸せの絶頂を感じたとき呪いが発動した。

浮浪者の霊魂が現れ、ポップコーンを街灯より高く投げ上げ、3回連続して口でキャッチすれば助けてやろうと言う。男は2回成功し、3回目はポップコーンを食べようとする鳩の群れに邪魔をされるが、ポップコーンに火をつけるという機転を利かせる。成功するやに思われたとき、太陽が目には入り失敗する。男は呪いに囚われて死んでしまう。だが、実は男は別人と入れ替わっていたのだった。別人の顔を整形させ、自らは別人の秘書になっていたのだ。別人は騙されていたことを知り、死の間際、男に呪いをかける。それは、娘が幸福の絶頂となったときに男に最大の絶望が訪れるというものだ。男は浮浪者と別人の二人から呪いをかけられたことになる。

男は一番の幸せを避けつづける。そして娘にも同じことを求める。絶望から逃れるためには、不幸になる必要はないが一番の幸せを得てはならないのだ。

娘には愛する人がいたが、幸せにならないために結婚ができない。そこに露伴が手助けをする。しかし、男は結婚式のジャマをするために殺し屋を雇う。ジャマできないときは新郎を殺すよう命じる。露伴は、結婚式の日にちを前倒しにし、場所も変えた。それに気づいた男(新婦の父)が教会に駆けつけたとき、殺し屋が新郎を撃つ。露伴は新郎に防弾チョッキを着せていたが、それと知らない新婦が銃弾から新婦を守り、撃たれてしまう。新婦は死に、男は絶望に打ちのめされて外に出ていく。

そのとき、新婦が立ち上がる。殺し屋の銃弾は、露伴がヘブンズドアを使って空砲に替えていたのだ。

めでたしめでたし。なのだろうか、いまいちしっくりこない。娘は愛する人と結婚して幸せになった。それはいいが、男(父親)は娘が死んだと思って人生最大の絶望に沈んでいるのである。たぶん、あとで男にネタばらしをする雰囲気はない。自業自得といえばそうだし、命は助かったからいいではないかという考えもあるけれど、もうちょっと鮮やかな解決策が欲しかった。幸せの絶頂で絶望に叩き落とされるという設定はよかったのだが。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:ll

★★☆☆☆

ほぼ意味は分からない。

サードインパクトを生き延びた一部の人類が住む村に行き着いた碇シンジはサードインパクトで人類の多くが滅亡したことが自分のせいだと思い腑抜けになっている。そんなシンジに式波・アスカ・ラングレーは我慢ができないが、鈴原トウジと相田ケンスケらは見守る。子どものようになった綾波レイは少しずつ人間らしくなっていくが、ある日、破裂してしまう。

エルフに敵対するWILLEの艦長葛城ミサトはフォースインパクトを阻止しようとする。アスカとマリはエヴァンゲリオンに搭乗し、フォースを引き起こすであろうエヴァンゲリオン13号機を破壊しようと戦う。シンジもエヴァンゲリオンに搭乗する。戦いの舞台はマイナス世界であり、そこでは記憶や思考が渦巻き、シンジは碇ゲンドウと対峙する。ミサトが死を賭して戦艦で突っ込み、第三の矢をシンジに渡し、シンジは勝利する。

場面かわって駅のホームで少し大人になったシンジがベンチに座っている。そこにマリが訪れ、二人手を繋ぎ駅の外にとびだせば、そこは日常の風景だった。

 

こんな風に書けばワケが分からないってことはなさそうだが、実際はやっぱりワケが分からない。機械やら風景やら描写は素晴らしい。このレベルの絵が描けるんだから、も少しふつうにワケが分かるストーリーにしたらいいのにと思う。

シラート

★★☆☆☆

オリベル・ラシェ監督。スペイン・フランス映画。

「奇想天外なストーリー」との謳い文句に釣られて久しぶりに映画館に行ってみたものの期待はずれに終わった。

砂漠でのれいぶパーティーに行ったまま連絡が途絶えた娘を探して、ルイス(見た目50才)は息子のエステバン(見た目14才)と二人でれいぶパーティーをめぐる。主宰者グループ(男3人女2人。見た目は30代)のトラックとバスを追いかけてモロッコの山岳地で、窪地にはまったバスを助けているとき、エステバンの乗った車が崖から転落する。悲嘆するルイスは一人砂漠に向かって歩き倒れるが、主宰者グループが見つけ出す。ルイスの気を紛らわそうと麻薬のような液体を飲ませ、砂漠のなかで仲間うちのれいぶパーティーを始める。薬が効いて興がノッてきたとき、踊っている女が地雷で吹っ飛ぶ。そこに駆け寄る男も地雷にかかる。その辺りが地雷原だったことに気づいた残りの4人はバスの中に避難する。しかし、砂漠の中でじっとしていてはゆっくり死に向かうだけである。近くの岩山までたどり着けば助かると見込み、無人のバスとトラックを順に岩山に向けて走らせるが、途中で地雷を踏んで大破する。トラックのタイヤの跡を歩いて、岩山まであと60メートルか80メートルの地点までは近寄った。男が一人岩山に向けて歩くが、途中で地雷を踏んでしまう。残りの3人は身動きがとれなくなってしまう。水の残りもあとわずか。突然、ルイスが歩きだし岩山に到達する。残った2人がどうやったのか尋ねると、ルイスは「無心だった」と答える。2人は目をつぶって歩き、岩山に到達する。場面変わって、砂漠のなかを疾走する列車。乗客が多すぎて列車の屋根にも多くの人間がいる。その中に地雷原を突破した3人もいる。

 

途中まで、わざわざお金を払って映画館まできたのは失敗だったかと後悔したが、地雷原のシーンが緊迫感があって、ちょっと面白くなる。5人のグループのうち一人は膝から下が義足で、一人は手首から先がなく、深読みすれば、このグループはただダンスパーティーが好きな軽薄な若者ではなく、紛争地に送られ傷ついたり徴兵を忌避した若者たちなのかと思われる。その若者たちが紛争から逃れて、あるいは紛争から目をそむけて生きようとして、それでも紛争の一部てある地雷に打ちのめされるという、出口のない世界を生きざるを得ない皮肉がこの映画のテーマなのかもしれない。だとしても、それほど面白いとは言えず★二つ。

「取り扱い注意」佐藤正午著

★★★★☆

あらあらすじ。元県庁職員だった鮎川英雄は、いまの職場であるあかつき缶詰株式会社のパーティーから帰宅する途中、俵ケ浦専務の秘書である三ッ森小夜子の部屋に寄ることになる。三ッ森は、鮎川の未来について話す。鮎川の結婚式に二人の母親と姉妹が4人、弟が1人、それに叔父と叔父の若い妻が出席すると予言する。鮎川と三ッ森はスクラブルというゲームをし、鮎川は叔父について話し始める。

叔父西丸陽助のアダ名は酔助という。鮎川が東京の大学にいた頃、アパートに戻ると、酔助が小学生の女の子と待っていた。大家の娘だ。酔助は羽振りがよく、しばしば鮎川を遊びに誘った。酔助も鮎川も女によくモテた。そういう血すじだった。鮎川が高校生の頃、継母の娘夏樹から夜這いを受けていたぐらいだ。

数年後、地元で県庁に就職した鮎川のところに酔助がやってきた。その頃、県知事のコネでアルバイト採用された平野深雪から誘われ、鮎川は適当にあしらっていたものの、ある夜肉体関係を持つ。しかし、鮎川に深雪と結婚する気はない。

鮎川が離婚したほうの母親の店で酒をのみ、酔助のマンションに行ったとき、大家の娘伊和丸久美子と再会する。久美子は東京の短大にいたが、酔助が地元に戻る際ついてきたらしい。久美子は美しい女性になっていたが、マンションには久美子のほかに小学生の女の子鈴村綾がいた。綾は久美子がアルバイトをしてる店のNo.1ホステスみどりの一人娘だった。

酔助は鮎川を強盗に誘う。パチンコの売上を襲おうというのだ。鮎川には知らされていなかったが、綾も仲間に加わっていた。

首尾よく1億1千6百万円を手に入れた3人が、鮎川のアリバイづくりのために宴会場に戻ると、平野深雪が待っていた。

深雪に刺された鮎川は俵ケ浦専務が病院に運び込むが、鮎川の怪我に動揺する酔助が病院のガラス扉に植木鉢を投げつけるなど暴れまわった末に逃亡する。

病院で目を覚ました有川が実家に戻ると、自分のベッドに寝ている綾を見つける。

強奪したお金は押入れに隠した。綾によれば、酔助はほとぼりが冷めたら迎えに来ると言い残して去ったとのことだった。

平野深雪が鮎川を刺した事件は、俵ケ浦によって揉み消された。強盗事件については誰が犯人なのかバレないままだった。

一年後、鮎川は母親の店で酔いつぶれた三ッ森を実家に連れて帰った。そこには平野深雪とその婚約者篠原哲男がいた。おまけに、綾の家庭教師である丸山れいこもやってきた。

酔助がきたら一緒に逃げるという綾に対して、最終的にはみんなが納得をした。そこに酔助から電話がかかり、綾、鮎川、三ッ森、丸山の4人で港に向かう。

免許を手に入れた酔助は綾を自分の車に乗せて北海道まで戻るらしい。鮎川は三ッ森と二人で暮らすことに決めた。

 

感想。登場人物の会話が洒脱というか気が利いていて、ミステリアスな三ッ森小夜子の存在も合わせると、村上春樹の作品みたいなものかと思ってたら、ロリータの話になっていった。それがテーマといえばテーマかと思えば、今度は強盗を始めてしまう。これはちょっとどうなんだろう。それまではまがりなりにも「文学」っぽかったのが、エンタメ「小説」になってしまった。それはそれで悪くないんだけど、それなら最初からそれらしく話を進めてほしい。「文学」と思って姿勢を正してよんでたら、実は「エンタメ」だったなんて、力が抜けてしまう。

まあそういうわけで、エンタメとしての★4つでした。

いまどきの老人

柴田元幸編訳、畔柳和代訳

 

『おばあちゃんと猫たち』

シャーリー・ジャクソン著

★☆☆☆☆

きっとどこか優れた作品なのだろうがそれが全く理解できない。

家で飼っている猫がなぜかおばあちゃんを嫌う。その猫がいなくなって別の猫がきても同じようにおばあちゃんを嫌う。噛みついたり、寝ているおばあちゃんのお腹の上で跳び跳ねたり。そんな猫たちも、いなくなるとおばあちゃんはがっかりした。という話。

 

『プール・ピープル』

アリソン・ルーリー著

★★★☆☆

おしゃべりな義母にうんざりする女性のコミカルな話かと思っていたら、当然ホラーに変わるという驚き。

うまくできてるのだが、一点わからないことがある。去年工事を頼んだときの2人の職人は、義母が言うように仕事が杜撰だったのか、本当はきちんと仕事したのに義母がゴネて工事代金を払わなかったのか、どっちなんだろう。もしも義母が言うことが正しければ、2人に起こった悲劇(交通事故と飛び降り自殺)を自業自得とまでは言わないが、「あなたたちにも非があった」と言いそうになって、物語としてちょっと納得しづらくなる。

 

『リバイバル』

ジュリアン・バーンズ著

★★☆☆☆

年老いた作家が書いた戯曲の改変を若い女が依頼する。女が出演する戯曲を見に行く老作家は女に恋をする。女が乗る列車に老作家は途中の50キロ同乗する。女の手にキスをしても、それ以上踏み込めない。

老作家がトルストイの屋敷に滞在したとき、この小説は初めて老作家の名前を明らかにする。ツルゲーネフ。

なんだ、それならそうと始めから教えてくれたらいいのに。そしたらも少しちゃんと読んだのに、というちょっと残念な驚きを与えるのが作者の狙いですね。

 

『You Must Relax!』

ジョアンナ・スコット著

★★★☆☆

マッジおばあちゃんはウォークインクローゼットの中で数を数える。

その祖母はむかしガーデンパーティーで起こったことを孫に話して聞かせる。息子のルー(孫の父親)がデザートを運ぶ際ガラスのボウルを落としてしまったことを。ガラスの破片を集めてくれた男は、数年前に関係を持った医師であり、その容貌とルーのそれは遺伝子の繋がりを周りの客たちに容易に想像させた。

マッジの夫はギリシャに向かう船からいなくなる。

マッジは夫の子を産み、スプラッグトンに引っ越した。転入者を歓迎するパーティーでレディ・バートに会う。6ヶ月も眠っていないというその老女を、マッジは「漸進性リラクセーション」のマッサージであっという間に眠らせた。その技はあの医師がマッジに施したものだった。でも、効き目があったのはこの一回だけで、他の人に試しても効果はなかった。

 

前半は面白くもないが、レディ・バートが出てきてから俄然面白くなる。といっても、偏屈な老女を催眠術まがいの方法で眠らせるだけである。それがなぜ面白いのか自分でもよく分からないが、「どうぞおやりなさい!」と底意地悪く言い放つ老女に「できなかったら町を出ていく」と強弁するマッジをユーモラスに感じたからだろう。

 

『紳士のC』

パジェット・パウエル著

★★★☆☆

1ページ目をめくって、やりやがったな、という感想。うまいね。

 

『ミスター・イヴニング』

ジェームズ・バーディ著

☆☆☆☆☆

裕福なオーエンズ夫人はある日、ウォール・ストリート・ジャーナルの告知を見る。夫人が持っている、1910年代の陶器のカップに関する情報を乞うたものだった。夫人は広告主であるイブニング氏を毎週木曜日に家に招く。食事でもてなし、コレクションを少しずつ見せるが、譲ったり売ったりする気はまったくない。最後には、イブニング氏をベッドに寝かせ裸にする。

なにが面白いのかまったく分からない作品である。柴田元幸が翻訳した作品は、面白いか面白くないかどっちかで、その中間はない。

 

『ハムナイフであんたたちのお父さんを刺したのは私じゃありませんよ』

エレン・カリー著

★☆☆☆☆

夫を刺したであろう夫人とその息子と双子の姉妹、それに夫人の友人が、病院の待合室で互いをおちょくったり非難しあったりしている。ちょっと変わったコントか会話劇のよう。

 

『冬のショパン』

スチュアート・ダイベック著

★☆☆☆☆

放浪癖のある祖父ジャ=ジャが家にきた頃、アパートの大家の娘マーシーは妊娠して大学から帰ってきた。ジャ=ジャは台所でバケツに足を突っ込み、孫である「僕」はテーブルで宿題をする。大家のミセス・キュービアックは娘のことが心配で、「僕」の母親に相談をするが、マーシーは堕胎せず、父親が誰かも教えず、部屋でピアノを弾く。「僕」は曲名が分からないが、ジャ=ジャが教えてくれる。

季節が変わる頃、マーシーがいなくなる。ミセス・キュービアックが探しても見つからない。疲れはてた頃、マーシーから手紙が届く。息子が生まれたとの知らせに、ミセス・キュービアックは一度だけ会いに行ったが、もうどうでもよくなっていた。

神様

★★★★☆

川上弘美著

「神様」という本の冒頭の一編。

昔、ある媒体に素人の小説募集の選考作がいくつか載っていて、断トツでこの作品が面白かったのをなぜかしつこく覚えている。たまたま図書館でこの本が目に入ったら懐かしくて読んでみた。「あとがき」とかを読むと、1994年の第一回パスカル短編文学新人賞受賞作だった。ネットで調べてみると、選考委員は記憶どおり筒井康隆と小林恭二だったが、もう一人いて、井上ひさしだった。そういえばそうだったような気もする。

アパートに引っ越してきた熊(小説では「くま」と表記されている)と歩いて二十分ほどの川原まで散歩というかピクニックに行く話である。

あり得ない話をふつうなこととして淡々と記しただけの作品だが、ほのぼのというだけでは言い足りない味わいがある。